服作りのきっかけは、紡績技術系の専門学校を卒業し、紡績業を営む会社に入社した際の経験が大きいという。
「規格化された工場で生まれる大量の服。24時間休まず働く機械の中で、20歳そこそこの私が3交代のシフト制で働く10代の女性従業員を管理していました。思い描いていた夢とは真逆とも言える現実を目の当たりにして、“衣服とはなんだ? 服をつくることが、どうしてこんなにも苦痛なのか?”そんな疑問と向き合う日々でした」
利益を最大化するための労働。流行を追い求め不健康な労働環境を生み出していることに気が付いた鄭先生は社会の流れに沿わない服作りを始めることを決め起業。台北郊外にある工房近くの女性たちにお針子として服を縫ってもらう。彼女たちにはノルマがない、家事が忙しかったり、気分が乗らなく納品数が少なくても先生は急かすことはない。“健康的な労働”である服作りのスタイルは今も変わっていない。